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My History
​Column

私の生い立ちから、心が揺さぶられたエピソード

History

幼少期

兵庫県に代々400年以上、塩屋を営む家に生まれる。家庭の中は、曽祖母、祖母、母、姉と自分という、母娘で構成された4世代の女性たち(数年間は高祖母までいる5世代でした)。明治・大正・昭和の言語や価値観、方言などが息づき、伝統的な日本文化や、季節の行事やしきたり、食事、先祖観が生活の軸にありました。仏教と神道を主にした伝統的宗教的儀式やおまじないなどの⺠俗的習わしの中で、私の人格形成の基礎が培われていったのを今になって感じます。実家の敷地内には祖母が園長を務める幼稚園があり、毎日、大勢の働く女性、決定権を持つ女性リーダーを見て育ったことは、現代の社会で生きる私の原動力になっていると思います。

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青年期

~高校1年生の時、財団法人AFS日本協会の交換留学生として選ばれ、高校2年生から南米ベネズエラに派遣される。ベネズエラ人の家庭にホームステイをしながら現地の私立高校に通い、卒業する。~当時、高校留学と言えば欧米、という時代でしたが、私は堅苦しい女子校を飛び出して、南米ベネズエラという日本と何もかもが正反対の国で自分自身だけの経験を作り上げたいという冒険心で一杯でした。ギアナ高地、カリブ海など、地球の原点が全て揃っている様な、ユニークでダイナミックな自然に抱かれた大地、ネイティブの文化、植⺠地の歴史と文化、カトリックの教えに育まれた暑苦しい程の愛がいっぱいの人間社会、まだ聴き慣れないスペイン語の世界で、現地の家族や友人、世界各国の個性的で才能溢れる留学生と共に生活するにつれ、どんどん視野が広くなっていく自分自身にワクワクする日々。異文化理解こそが人生の豊かさであると実感する毎日でした。

 

AFS(AmericanFieldService):16歳という自分の価値観が確立する前の高校生たちが、全く違う環境の中で、異なる文化や言語を学び、意見を交換し合い、慣れ親しんだものとは異なる文化や価値観を理解するプロセスを学び合うことが世界平和に繋がる、という理念の元、賛同するボランティアの家庭や学校が作る世界的ネットワーク。

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16歳の強烈な体験

善塔倫子16歳。南米ベネズエラで出会った各国の留学生仲間と共に、カリブ海に浮かぶ無人島に1週間ほど滞在していた。青く澄んだコバルトブルーの海の中、サンゴ礁、色とりどりの魚、視界に入る景色のあまりの美しさに、ゴーグルひとつ、刻も忘れて泳いでいた。

 

ある時、息を止めて海中深く潜り、何気無しにフッと力を抜いた。

 

目の前に広がる光景は、上も下もないブルーの世界、それは、宇宙そのものだった。

 

その時、想像を絶する光景が。

 

「私の目の前に地球が現れ、私はそれを見ている。

一方で、自分は地球上では砂粒ほどの小さな存在、取るに足らない生命のたったひとつであるはずなのに、私がその無数の生命体と一体となり、また同時に、私自身の中にその全ての生命が存在している感覚。これは一体?!」

 

海から上がったその時、燦然と輝く太陽は、まさに大日如来の様に光のパワーを私の上に怒涛の滝のように降り注いだ。光のなかで、生命力そのものを受けた私の体内にマグマのように湧き上がってきたのは、力強い「生かされている」という感覚と、途切れることのない深く強烈な「感謝」の念。

私の中の価値観と哲学が確立された瞬間だった。

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大学から社会へ

人が好き、アートが好き、言語が好き、文化人類学が好き。自身が輝き、周りの人々を幸せにするために、その分野に自分の存在意義を探し求めていた。サンフランシスコ州立大学で異文化コミュニケーションを学んでいた頃、LiManWah監督の映画『ColorofFear』に出会い、映像は異文化を擬似体験できるツールであると確信、それを生涯の仕事にすることを決意した。

在学中に地元のケーブルテレビ局、TCIにてインターンを始め、雑用からフロアディレクターまで、映像制作のいろはを習得。また、サンフランシスコクロニクル紙の編集長の下で、フィルム写真撮影・現像技術を学ぶ。その経験がキャリアの礎となり、以来、地球のあちこちを、旅を重ねながら様々な人生に出会い、異文化を紐解く番組制作・撮影取材に多数関わるようになる。新しい世界に既存の価値観がぐらぐらする悦びに溢れつつ、地球の豊かさに感動する日々であった。

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龍村仁監督

サンフランシスコから戻り、日本の大学最後の年。映像の道に進むことは決めていたが、第一歩をどのように踏み出したらよいか考える中で、龍村仁監督の著書「地球(ガイア)を包む風のように」に出会い、衝撃を受ける。

そこには、カリブ海での強烈な体験に通じることが、様々な人物、事柄や視点を通して描かれていた。あの時の気持ちを言葉にすることができなかった自分の心の奥、魂に語りかけてくる文章。こういう表現ができる人になりたい、こういう内容が書ける人生経験を積みたい!とはやる思いに、返信ハガキを同封して監督へ手紙を送った。

 

一緒に仕事をさせて欲しいという、見ず知らずの無遠慮な若者に対し、「まずは逢いにいらっしゃい、いつか時が熟すまで力をつけてください。」と道を示して下さった龍村監督の御加護の下、そこから世界50カ国、夢中で仕事を重ねた。映像に関わるありとあらゆる役割を学ぶ10年が経った頃、監督のシリーズ映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」のスタッフとしてお声がけを頂き、七番の制作に参加。アフリカで二人の子どもを生み育てる間の八番をスキップして、再び九番の制作・撮影にお呼び頂き、参加出来る恩恵に与る。

 

忙しい日々に追われながらも、自分の原点はそこにあると思い出すカリブの海。

その体験のお陰で、龍村監督とのご縁が生まれた。

常に私を勇気づけ、モチベーションを下さる存在、龍村監督の世界観は、生きる指針である。

 

イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士の唱えるガイア理論「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という考え方を主軸にした龍村仁監督の世界観。『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』公式サイト:https://gaiasymphony.com

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Mr.アンソニー・ボーデイン

「倫子、80点でも90点でもなく100点あげます」

アンソニー・ボーディン氏から贈られた言葉

敬愛なるアンソニー・ボーディン氏は、2018年、この世を旅立たれました

大いなる感謝と共に、ご冥福を祈ります

A tribute to Mr. Anthony Bourdain >

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